パルテノン神殿 (ギリシャ) [ギリシャ]
世界へ都市国家アテネの権威を示すための象徴として造られた、アクロポリス。
「上の都市」という意味を持つアクロポリスは、アテネが最盛期の紀元前5世紀前に石灰岩で出来た高さ70mほどの丘に複合施設が建設された総称です。その中で最も有名なパルテノン神殿は、今でもなお圧倒的な存在感を保っていました。
プロピュライア(前門)
中央の楼門と南北両翼にある建物の総称で、古代アテネ市民と同じ入口から入ります。
当時は白と青の大理石を組み合わせた色になっていたそうです。
少し動いたら倒れそうな柱もありました。
■ パルテノン神殿 - Parthenon -
46本の大理石で出来たドーリス式の円柱と、イオニア式の浮き彫りが施されています。神室には、黄金と象牙で覆われた高さ12mもの巨大なアテナ像が祀られていたそうです。
柱の上部にある装飾。間近でみると大きいです。
神殿後部の角。
パルテノン神殿後部。辺りは岩でゴロゴロ。
■ エレクレオン - Erechtheion -
女性を象った2mもある柱が印象的で、写真で初めて見た時からパルテノン神殿と同じくらい観たいと思っていた神殿でした。
アクロポリスにある像は複製で、オリジナルの5体がアクロポリス美術館にあり、1体だけ寂しく大英博物館にあります。
現在のものは紀元前400年前のものを復元されたものだそうです。
神殿の中庭に聖なる木としてオリーブの木があり、吹き抜けになっていたそうです。
多くの神が祀られ、色鮮やかにペインティングされていたとか。
北側は6本のイオニア式円柱で支えられていて、周りにはオリーブの木が生っていたそうです。
見上げると、年季の入った天井。
この中にはアテナの木像があったそうです。
見晴らしの良いアクロポリスからは、アテネで一番高いリカベトスの丘が見えます。
これらを元の形に戻すって、すごい!
まさに絶壁の上にある景色。
展望台は人でギッシリ埋まっていました。
眺めがよく、ゼウス神殿跡が見えます。
マイルストーンにも見えますが、きっと大事な事がかかれてそう。
ズレているのを見ると、元に正したくなる性分です。
出口は入口の隣です。
出口は勝手口のような小さな扉。
また来たいな、と思いながら振り返って撮った出口。
丘の上に煌々とし神殿がそびえ建つアクロポリスは、アテネ最盛期の権威を体験できる場所でした。
次は、ドイツのケルンです。
■ 旅の参考文献
アテネ (ギリシャ) [ギリシャ]
紀元前30世紀頃から続いた古代ギリシャの中で前5世紀に最盛期を向かえた、アテネ。
歴史の教科書に欠かせないパルテノン神殿を一目見たくてアテネへ向かいました。
衛兵交代式
シンタグマ広場で、独立戦争で戦死者を祀る無名戦士の碑の前での徴兵交代を見物。
色合いもオサレで軍服が可愛くみえました。
徴兵のみなさんは、平均的に身長が高かったです。
ハドリアヌスの門
ローマ支配下になった際、ハドリアヌス帝が統治した記念に造られた大理石製の門。当時の旧市街(ギリシャ)と新市街(ローマ)の境界線上に建てられ高さ18m、幅13.5m。
地元の方に、門のアーチ越しにギリシャ神殿を入れて撮るといいよ、と言われました。
アテネ市内でよく見かける教会。
特徴のある色合いです。
プラカ地区で見かけた像。危険な感じです。
賑やかな通りがあると思ったら、デモだったので脇道へ逃避。
アクロポリスの丘
神殿や音楽堂、図書館など複合遺跡があります。パルテノン神殿がすぐ間近に!!
通りにはオサレな蛇口。観光客がペットボトルに水を入れて飲んでいました。
オデイオン
6,000人を収容する音楽堂は161年施工。現在でも古典劇、オペラなどが行われています。
そして、奥に見えている丘へ向かいます。
フィロパポスの丘
ピレウス港方面。写真ではわかり辛いですが遠目に海が見えます。
遠目に見えていたローマ時代の執政官カイウス・リカベトスの墓碑が間近に。2世紀頃建造。
360度アテネを一望できる丘より、考古学博物館方面。
丘というより岩にそびえたつパルテノン神殿も良く見えます。
オリンピック会場
第一回近代オリンピックが開催された場所。2004年の大会ではマラソンのゴールになった記憶が新しい。
その向かいにある道路脇にはオリーブオイルが普通になっています。
想像していたより狭かったですが、かなりの存在感がありました。
夜景もとてもキレイでした。
スポット的にライトアップされたパルテノン神殿は、宙に浮いているように見えました。
次は、最大の目的だったパルテノン神殿散策です。
■ 旅の参考文献
↓ギリシャで食べた濃厚なヨーグルト、日本ではないなと思っていたらやっと近いものに出会えました
ロドス島 - 旧市街 (ギリシャ) [ギリシャ]
■ Rodos
ロドス島の歴史は深い。紀元前12世紀頃にド-リス人が移り住み、現在の旧市街は紀元前408年に誕生。この時代が交易の中心地として最も繁栄されていたとされます。これから約100年後にマケドニア軍撃退を記念して「太陽神ヘリオスの巨像」が造られました。
紀元前2世紀頃まではローマ帝国の同盟国、395年にローマ帝国が分裂し、東ローマ帝国の影響下に。654年にはサラセン人、1082年からベネチア人の支配下に。14世紀初頭に聖地防衛の拠点を失った聖ヨハネ騎士団が移住。1523年からは騎士団を追い出したトルコ軍の長い占領時代が続きます。第一次世界大戦時はイタリアの支配下、第二次世界大戦時はドイツの支配下にあり、ギリシャに戻ってきたのは1947年の大戦終結後なので、まだ最近だったりします。
□旧市街
聖ヨハネ騎士団なくして語れない旧市街。騎士団が聖地奪回に向けた対イスラム世界の砦として築いた城塞とオスマントルコ軍の痕跡が残る、2つの文化が混じった街。
●エレフテリアス門 -Eleftherias Gate -
深さ20m・幅は広い所で100mに達した壕と、全長約4km・幅は厚い所で12mもあった城壁をくぐると、新市街とはうって変わり、耳を澄ますと蹄の音が聞こえてきそうな中世の面影が漂うエリアです。道も玉砂利がぎっしり敷き詰められているところが多く、独特な空気が流れています。
騎士団に興味がある私には門をくぐった瞬間から胸が高鳴らざるえない空気でした。
右側に考古学博物館。
元は、高度な医療技術を誇った施療院。奥行き51mの病室にカーテンを仕切り、ベットが並び、患者には銀の食器で食事が与えられていたそう。
●イポトン通り(騎士団通り)
騎士団長の館まで緩やかな坂が続きます。ここは馬にまたがって上り、騎士団長の気分に浸りたかったです。
この通りを挟んで左側が元施療院、右側には8語族の騎士が国別に構えていた住居の一部分があり、そのファサードに出身地を表す紋章があります。聖母子像がある場所に小さな礼拝堂がありました。
- フランス語族の館を意味するファサード - - 礼拝堂前 -
騎士団の構成員は騎士が500人程度、8つの騎士館グループ(フランス、イタリア、イングランド、ドイツ、アラゴン、カスティーリャ、オーベルニュ、プロバンス)が母国語によって分かれていたそうです。各グループ毎に騎士館長(戦闘の際には部隊長)がいて、全体を騎士団総長が統率。
●騎士団長の館 - Palace of the Grand Masters -
中庭を囲むように建てられ、食糧や軍需品を供える地下倉庫もある館は、歴代の騎士団長が居住していたそうです。”館”というよりは、お城のような佇まい。ファンファーレが聞こえてきそうな容貌。
1522年のオスマン帝国の攻撃で大打撃を受けた後、1856年に火薬庫の爆発によって崩壊、20世紀前半、イタリア人がロドス島を支配していた時期に修復されたこともあり、イタリア色の濃い趣になっていました。
エントランスより階段を上がりきると”戦利品の部屋”に出ます。
床のモザイクはドデカネス諸島の一つのコス島から移したローマ時代のもの。どこの部屋も綺麗なモザイクで埋まっていました。
>>ラオコーンの部屋
紀元前2~1世紀のロドス人作とされるヘレニズムの傑作「ラオコーン」のある部屋へ続きます。オリジナルはヴァチカン美術館に。
>>メドゥーサの部屋
ヘレニズム後期、前2世紀頃の作品でギリシャ神話に登場する「メドゥーサ」のモザイクが見ものです。
>>第2丸天井の部屋
ゴシック建築によく見られる肋材を使って、天井を支える部屋。
しっかり十字のマークが刻まれています。床のモザイクは壺や鳥、植物が描かれています。
>>列柱のある部屋
騎士達が会議をしていた場所だそうです。スレイマンが攻めてきた際には、そうとう重たい論議が行き交っていたことでしょう。。。床のモザイクは5世紀後半のもの。
>>海馬とニンフの部屋
9人のミューズの部屋まで、中庭を囲んでしばらく小部屋が続きます。
各部屋は採光され日中はランプがなくても室内が明るかったです。
- ポセイドンとポリボテスの騎士の部屋 - - 9人のミューズの部屋 -
>>中庭
大理石の幾何学模様で造られたモザイクの床。ここにもコス島から移されたヘレニズム時代の彫像が並んでいます。
騎士団長の館を背に坂を下りていくと、右手にモスクがあります。
●スレイマン モスク
1523年、オスマン帝国スレイマン1世が街を征服した記念に設立。1808年に改築されました。
狭い通りから、オベリスクかの如くミナレットを見上げる。
スレイマン・モスクから一番広く多くの観光客が行き交う通りがソクラツース通りで、その先にイポクラツース広場があります。
○イポクラツース広場
玉砂利でデコボコした道が多いので、あまり歩かなくても足も体も疲れます。
○エブレオン広場
タツノオトシゴの噴水がある広場です。旧市街の通りや広場は、お土産物店やカフェが建ち並び、どこも観光客で賑わっています。
○セント・カテリーン門
○聖エカテリーナ門
イエスを抱いたマリアの両側に、聖パウロと洗礼者聖ヨハネの浮き彫りがあります。
○ネコのいる風景
歴史散策が楽しめる旧市街。世界七不思議の歴史を持つ新市街の港。旧市街と新市街とは徒歩圏内なので、騎士や歴史に興味がある人は楽しめる島です。どこの島でも同じですが魚介類は美味しく、またトルコ市場ではトルコ料理も堪能できるので、グルメもそこそこ充実しています。サントリーニ島やミコノス島とは違った空気が流れるのどかな島で、お土産物やレストランの店員さんはフレンドリーな人が多く、リラックスできる滞在でした。
■ 旅の参考文献ロドス島 - 新市街 (ギリシャ) [ギリシャ]
■ Rodos
世界七不思議の一つに数えられる「太陽神ヘリオスの像」で有名な、ロドス島。
中世時代には聖ヨハネ騎士団が遺した城壁や騎士団長の館などで有名になった島でもあり、いろいろな文化の痕跡が残る街です。
アテネから飛行機で1時間。空港からロドス・シティまではタクシーで20分ほど。タクシー料金は一律で決まっているので、アテネのようにボラれることはありません。しかも、私が乗ったタクシーのドライバーは佐賀に1年間住んでいたらしく、九州トークに花が咲き、ロドス・シティへあっという間に着きました。
□新市街
新市街は、20世紀初頭前後にロドス島を占領していたイタリア人によって作られたため、多くのイタリア風な建物を目にします。
また、このエリアにはかつて存在したと言われている巨人像の跡地があります。
ギザのピラミッド以外は、想像図でしかその存在をイメージすることしか出来ない世界七不思議。
謎のままになっている神秘さ、目くるめくようなロマン、想像以上の大スペクタルな時代があったに違いないと感じるところが私にとって魅力なのですが、その中でも特に「ロドスの巨人像」と「バビロンの空中庭園」に興味を持っていて、ロドスの巨人像に関しては”かつてはここに・・・”と語り継がれてきた伝説と、それに対するさまざまな見解に想像を掻き立てられ惹かれていました。
●マンドラキ港
ロドスのシンボルである牡鹿と雌鹿の2頭の青銅像が海に向かって立つあたりに、紀元前3世紀頃、高さ15mの大理石の土台に全長34mの太陽神ヘリオスの像が岬をまたいで立っていたそう。土台だけで鹿の青銅像を超えています。こんな所に太陽神の巨人像が太陽光線を表す放射状の冠をかぶって立っていると、神々しさも増していたことでしょう。あぁ、見たかった。その大きさは、現在の自由の女神に匹敵するほどだそうです。ぅんー、鹿と鹿の距離が結構あります・・・
巨人像に岬をまたがせるという発想が私は好きなのですが、現代の研究でこのポーズでは耐久性に欠けているため、残念ながら不可能であろう。。。と考えられてます。そんなことない!と思いたいところですが。
像は紀元前227年の地震で倒壊し海に沈んだとされ、その姿が謎のままで世界七不思議の一つになっています。奥に見えるのは、アギオス・ニコラスの要塞。
マンドラキ港から旧市街の眺め
中世の時代には軍港として使われていた港。現在は、クルーザーやヨットで埋まっています。
●エヴァンゲリスモス教会
旧市街にあった聖ヨハネ騎士団の教会をモデルにして作られたそうです。鐘楼に時計がついているあたりに、イタリアらしさを感じます。
●ドデカニサ市庁舎
もとはイタリア人総督の宮廷で、ベネチアンゴシック建築。
新市街は、バカンスを楽しむヨーロッパ人が賑わい、近代的なホテルやレストラン、土産物店が建ち並ぶエリアでカジノもあります。レストランやバーは、夜中まで音をガンガンに鳴らしていて、’近所迷惑’という文字はこの街の辞書にはないのだろうと思えるほどです。
昼間のビーチは、ミドルシーズンでも人で賑わっています。
日本では考えられないほど水着姿の高齢者も多く、パラソルの下で寝転んでいたり、海辺で水遊びをしている姿が、なんだか可愛く見えました。
気持ち良さそうにエーゲ海の上をパラセイリングが飛んでました。
その向こうには、薄っすらとトルコが見えています。距離にして18km。近いです。
○食事
- ギリシャサラダ - - メカジキのグリル -
どちらとも手が込んでなくシンプルな料理ですが、素材が新鮮なため、とても美味しかったです☆
クノッソス (クレタ島) [ギリシャ]
■ Knossos
イラクリオンから約5km南東、紀元前2,000年頃のミノア文明中心地であったクノッソス。
ミノア人が強力な交易船団を持ち、海洋王国を築いたのもこの時期だと言われています。
クレタ島には、青銅器時代中期に大きな宮殿がいくつか存在し、その中でもクノッソス宮殿は大きさだけでなく、技術的・美術的にも優れていたと言われています。
クノッソスへはイラクリオンからバスで20分ほど。
バスを降りた側は、お土産物屋が建ち並び、その反対側に入口があります。
◎クノッソス宮殿跡 - The Palace of King Minos -
幼い頃に読んだギリシャ神話のミノタウロス伝説が、長年脳裏に残っていたのがクレタ島に興味を抱き、クノッソスを訪れるきっかけでした。ミノス王が建てた、一度入ったら二度と出て来れない迷宮・・・ そして、それが世界最古の迷宮で、神話ではなく実在した宮殿となると、個人的に見ないわけにはいけません。
- クノッソス入口 -
クノッソス宮殿の特徴は、王、役人、祭司の住居や統治の拠点で、行政と経済の中心であり、また宗教的な意義を持ち合わせていたため、大きく分けると中央にある中庭を境に、祭祀室と公式な国務行事用の部屋が連なる西エリア、家屋や作業場が集まる東エリアに分かれています。
>>西側より
入口を通り抜けると、石畳の西の庭に出てきます。左手には円形のクルーレスと呼ばれるものが3つあり、右手には祭壇や検問所、守衛室跡が並びます。
- クルーレス - - 検問所や守衛室跡 -
クルーレスからは、宗教儀式で使われ粉々になった土器や家屋の遺物、また崇拝用の聖なるヘビを飼っていた管状の器が発見されています。
>>南側
宮殿玄関前に行列のフレスコ壁画の廊下があり、その奥に正面玄関があります。
クノッソスにある壁画は全てコピーのため、色鮮やかに復元されています。オリジナルは修復されてイラクリオンの考古学博物館にあるので、クノッソス観光は考古学博物館と合わせた方が深く楽めると思います。
行列の壁画は、ほぼ等身大の男女が、女王又は女神とみられる女性に献上物を運ぶシーンが描かれていることから、名付けられたそうです。
聖なる角の横を通り、その奥にユリの王子の壁画があります。
牡牛の角がシンボルとなっている聖なる角は、神々しくクノッソスの大地に映えていました。
- 聖なる角 -
○ユリの王子 - Prince of Lilies -
ユリと孔雀の羽の冠とユリをかたどった数珠からなる黄金の首飾りを身につけている壁画です。原画はわずかな部分しか残っていなかったため、随分修復されているそうです。実際、考古学博物館で見た原画は、上半身や左足部分が欠けていて、植物の絵や黄色い色分けなどなかったので、よく出来た再現画だと思いました。
左手に持っている紐の先がかなり気になります。
かつての宮殿の部屋数は1,200以上だったそう。建物は二層から三層の複雑な構造で、地形によっては四層部分もあり、下の階まで採光する設計になっている精巧さに驚きです。
王座の間の上には、多くの絵が飾られていました。
その中でも、左下の「牛の上のアクロバット」という絵が有名です。雄牛の角を捕らえ、背の上で2回転宙返りをし、反対側に着地するという当時人気が高かった競技だったそう。闘牛とは違い、雄牛は聖なる動物であったため、崇拝の行事を成していると考えられています。それにしても、一度そんな器用な競技を拝見したかったです。右下の王座は、雪花石膏製の椅子。
原画はイラクリオンでの考古学博物館の紹介で載せています。
※考古学博物館にあるクノッソスの原画はガラスで覆われていて、上の天窓から差し込む光が反射し、なかなかカメラでは上手く撮れません。
○王座の間 - Throne room -
身を清めるための聖水が入った水盤が真ん中にあり、壁にはグリフィンという空想の野獣が描かれています。野獣と言われるには優美で可愛いい絵でした。グリフィンは神が持つ3つの要素を象徴すると信じられている絵で、鷹の頭が天空、ライオンの体が地上、蛇の尾が冥界を現します。
この奥には、断食や修行のためにこもったと考えられる聖堂があります。部屋は暗く、石製のランプが1つ灯されているだけだったそうです。
王座の間と、その上の部屋だけベースの柱の色が黒で、その他の柱は赤中心に復元されているところが気になります。
人より大きいかめ
穀物やオリーブ、油、小麦などが、このかめの中で保存されていました。見事な形です。
貯蔵庫とされていた場所には、中型サイズのかめが多数発見され、考古学博物館に展示されています。
>>東側
壁にはミノス王の家紋とされる「双刃の斧」が描かれていて、王が使っていた双刃の間や、イルカの壁画で有名な女王の間があります。
女王の間の浴室には浴槽や水洗トイレが備わっていて、上水道の粘土管も見つかっている等、すでに排水施設を持っていたことに驚かされます。
>>北側
訪れる前から、この雄牛の浮き彫り壁画を楽しみにしていました。ただの壁画ではなく、浮き彫りというところに関心を持っていましたが、壁一面に描かれていた復元図を見て、それが壁一面に描かれていたと想像すると、かなり荘厳で豪勢だったのであろうと思わされます。
ミノア建築の特徴は、石膏石で出来た土台に木製の柱、ぎっしりと石が敷き詰められた壁です。
宮殿跡地にもネコや孔雀がいました。人間を怖がることなくゆっくりと近づいてきて、カワイイなぁと思っていたら、真隣で背を向けて座られてしまいました。
クノッソス宮殿の魅力は、ここまで高度な文化で壮大な宮殿にもかかわらず、城壁がなかったというところが(他のミノア文明時代の建物も同じよう)、外敵からの侵入に恐れて暮らすような大きな争い事はなく、どの壁画も人々の生活や宗教的なもの、植物等、優雅さが感じ取れるものばかりで、人々が平和に暮らせる確立された神聖な場所だったんだろうなぁ、と思えるところです。
■ 旅の参考文献イラクリオン (クレタ島) [ギリシャ]
■ Iraklion
ギリシャの南端に位置するクレタ島商業の中心地である都市、イラクリオン。
クレタ島は、ギリシャ神話ではゼウスの生まれた地となっていて、イラクリオンの地名の由来は、ギリシャの英雄ヘラクレス。歴史としては、青銅器時代中期にエーゲ海の島々との交流で栄え、ヨーロッパ最古の”ミノア文明”を生みました。クノッソス全盛期には外港として栄え、その後はアラブ人の占領に始まり、ビザンチン帝国、ヴェネチアに支配されてきました。
クレタ島へは、サントリーニ島から高速船で1時間30分ほど。
船は30分ほど遅れて20時くらいに港へ到着。すっかり辺りは真っ暗になっていました。
- 届けてくれた高速船にお別れ -
イラクリオンは新市街と旧市街に分かれています。多くのホテルやレストラン、観光名所等は旧市街にあり、短期滞在は旧市街だけで充分用が足ります。
□旧市街
この街はヴェネチア共和国の450年にも渡る支配下にあったため、至るところに城壁が残っています。
メインストリートにある教会では、結婚式が行われていたようです。
- 教会前 - - 飾られたベンツ -
●ヴェニセルー広場 - Plateia Venizelou -
噴水を囲むように、レストランやカフェが並んでいます。
- モロシニの噴水 - - タウンホール前 -
1628年にヴェネチア人が造ったモロシニの噴水。噴水を支えているライオンは14世紀のものだそうです。
広場より25アウグストゥ通りを見ると、タウンホールが見えます。タウンホールはヴェネチア時代は貴族達の社交場だったそうです。
●25アウグストゥ通り - 25 Augoustou -
メインストリート。通りの終点は海に面し、オールドハーバーがあります。
この日は日曜だったので開いている店もなく、通りはガラーンとしていました。
●オールド・ハーバー - Old Harbour -
通称「ヴェネチアン・ポート」で16世紀に建てられました。左奥にみえるのはヴェネチア時代の要塞。小さな港なので中・大型船は入港できません。
要塞側より、旧市街の眺め。
- 要塞側からの景色 - - 要塞の反対側、ヴェネチア時代の兵器庫 -
●ヴェネチア時代の要塞 - Venetian Fortress -
トルコ軍の勢力が強まった16世紀に、城壁が強化されているそうです。
ここでもネコが集会中。ジーっと眺めていると、「餌!?」と思われたのか、一匹のネコが近づいてきてジーと見返されました。スミマセン、何も持参してません・・・
ここの堤防は先まで歩いて15~20分はあるほど長く、地元の方が散歩していたり、走っていたり、釣りをしていたりしてました。散歩に来ていた方が、向かいにある島は、ここの堤防から見る角度がワニに見えると教えてくれました。
左がしっぽ側で、右が頭!?
近くの空港から飛び立つ飛行機が、オールドハーバーの真上を飛んでいきます。翌日は、上からここを見下ろすんだと思うと、少し寂しくなりました。
◎考古学博物館 - Heraklion Archaeological Museum -
石器時代からローマ時代までの出土品が展示されています。特に、クレタ島に起こったミノア文明のほとんどの遺産がここに収めされてあり、クノッソス宮殿の修復された壁画もここにあるため、歴史好きなら外せない場所です。
●「蛇女神」の像 - Faience Figurines of the Snake Goddess -
有名なミノアの像で、クノッソス宮殿の宝庫にあった櫃の中より発掘。一番左で高さ約34cm。
●フェストスの円盤 - Phaestos Disc -
紀元前約1600年のもの。直径16センチの円盤の両面に象形文字が螺旋状に刻まれていて、まだ解読されていないところが興味深い。
●牛頭リュトン - Bull's Head Rhyton -
土台:凍石 / 目:水晶 / 角:金箔塗り / 鼻の周り:真珠層
紀元前16世紀のもので、クノッソス小宮殿より発掘。ミノア文明を特徴付ける雄牛信仰の象徴で、雄牛の頭をそのまま酒杯に。宗教的な儀式の際、神に供えるワインを注ぐのに使われた杯。
●紀元前1500-1450年ザクロス宮殿の出土品。(水晶のリュトンと彩色大理石の壷)
水晶のリュトンは、首の根元にある水晶リングには金箔を施した象牙の装飾。杷手の数珠玉は青銅の針金で繋げられています。
●巨大双斧
●人より大きな壷(私の目線で、取っ手の下あたりです。)
●大鍋
何人分の鍋で、どんな料理がされていたのか・・・ ちょっと楽しそうです。
たくさんの大きな壷、そして斧に鍋、この時代の方は大きなものを作るのも得意だったんですね。
●何だか微笑ましくなる数々
○お祈りのかたち
お祈り①
バンザーイでも、ビックリしちゃったーっでもなく、神を讃えています。
ブランとした足元が気に入ってしまいました。
お祈り②
敬礼!ではなく、神を讃えるお祈りのポーズその2です。
崇拝者の青銅像で、紀元前18世紀のもの。
○楽しそうな出土品
なんだか楽しそうで中に入りたかったです。 ガオーな感じでした。
エヘヘ① エヘヘ②
●クノッソスの修復された壁画
○クノッソスの至宝、「女王の間のイルカ」
○入口の行列画
○「牛の上のアクロバット」
●アルカイック時代の出土品
この時代の特徴的なクーロス像に似た石造。独特な空間をかもし出していました。
○壁の装飾、うけ口のライオン。
○部屋と部屋の仕切りの上
●古代ヘレニズム期、ローマ期の彫刻
○大理石像
○ローマといえばモザイク
なぜか親近感を抱かされるモノが多いミノア文明人の出土品類。そして見応えのある展示物の数々。すっかりミノア人に魅了され、外に出た時には足を動かすのが辛いほどになっていました。
○イラクリオンでの食事
ずばり、グリークスペシャル。この一皿でギリシャ料理の基本をマスターできる便利なプレート。
時計回りで、フライドポテト・煮込んだ肉・ドルマーデス・サジキ・サラダ・ハンバーグ・ムサカで、真ん中が、スタッフドトマト。お腹いっぱいでした・・・
ギリシャ代表的なお酒。
- ウゾ -
イラクリオンはクレタ島の首都でありながらも、時間の流れは他の島と同様ゆっくりしています。
このゆったり、まったりとした時間の流れ方が、私にはツボです。そして、日本人の味覚にも合うギリシャ料理☆クレタ島の東部には素敵なリゾート地もあるので、次回訪れる時は、もう少し島を探索してみたいです。
イア (サントリーニ島) [ギリシャ]
■ Oia
フィラから島の北端へバスで20分ほどに位置するサントリーニ第2の観光地、イア。
ここは眺望を堪能するための地。フィラほど人が混みあってなく、開放感が増します。
移動で乗車したバスは、ギリシャ正教の聖職者と一緒でした。
= ギリシャ正教 =
人口の95%以上が信徒で、ギリシャ全土には7,000以上の大小の教会があり、男女修道院は合わせて900ヶ所あるそう。ギリシャ正教は、国教として憲法に唱えられていて、義務教育に宗教科があり教理と歴史が教えられ、国民の中に根強い。
イアのバスステーションから細道を進むと、教会とその前には見晴らしのいい広場があります。
- 広場左側の眺望 - - 広場右側の眺望 -
●広場より右側へ
通りは、レストランと土産物店が建ち並んでいます。
狭い道を観光客が行きかう中、地元の犬が人込みを潜り抜けます。
ギリシャで見かける犬は、いつもビクリとも動かず寝ていたりする場面が多いです。暑さで体が動かないのでしょうか。。。
ついつい周囲の景色に目を奪われ、道端で寝ていた犬の足を踏んでしまったのですが、慣れているのか足をスクっと引っ込めて、ひたすら寝続けていました。
>>シエスタな風景
どこへ行っても時間がゆっくり流れています。
サントリーニ島、北西側。
境界がどこからかわからないほど、所狭しとホテルやレストランが並んでいます。
その下にあるハーバーへは、ひたすら階段を下っていきます。
イアからボルケーノは少し離れて見えます。
面白い玄関発見。
扉の向こう側が下り階段で建物はその下にあるので、玄関の向こうは海しか見えません。
●広場より左側へ
フィラに比べると観光客が少ないので、周りやすいエリアです。
ほんとに、ホントに時間がユックリ流れています。
ここでもロバが活躍しています。
●教会
表のみならず、裏の隅まで綺麗にペイントされています。
海も空も教会の屋根も、青々としています。
エーゲ海を見下ろすように仲良く並ぶ二つの鐘。
向かいにあるのはティラシア島。
●食事
- 魚介類のトマトスパゲティー -
新鮮な魚介に、甘いトマトソース。眺望との相乗効果で、今まで食べたトマトスパゲティで一番美味しく思えました。
>>Blue eye 土産物店へ行くと、必ずと言える程よく見かけます。守り神だそうです。
イアの好きなところは、断崖から眺める海と、ゆっくりと時間が流れている空間。
高台から海を見下ろす場所が好きな私には、うってつけの島でした。
また、日々の生活と間逆なこの空間は、たまらなく癒されました。
思う存分、遠くまで広がる海を眺めたので、次は、思う存分、遠くまで広がる蒼々とした草原を見渡したくなりました。それは、どこなのか・・・^^;
サントリーニ島でのんびり過ごすなら、イアでのホテル滞在もいいかもしれません。
フィラタウン (サントリーニ島) [ギリシャ]
■ Fira
一夜にして海中に没した幻の大陸”アトランティス”が眠ると噂される、サントリーニ島。
島の形は三日月。そうなるまでには何度も火山の噴火が繰り返され、特に紀元前1500年頃の噴火は史上最大。それにより残った一部が現在のサントリーニの形だと言われています。
この島へはミコノス島から高速船でナクソス島とパロス島を経由して約3時間。下船時間が近づくと、船内からアトランティス伝説が語り継がれている神秘的な島が目に映りました。
高速船の港は、大型船が入港するオールドポートから南下した場所にあります。島が見えてから港まで移動する間は、断崖に建ち並ぶ家屋を見上げることになり、違う角度からエーゲ海の景色を堪能することになります。
高速船が入港するアティニオス港から街の中心のフィラタウンまでは、バスで約20分。
- アティニオス港のバスの中からこれから登る絶壁を望む -
バスは何度も何度もクネクネの勾配を走り、一気に頂上まで上ります。
フィラタウンのバスステーションからホテルまでは、歩いて5分弱。その道は凸凹の登り坂で、荷物運びが少しキツかったです。
ガンバって歩いた分、坂を登りきるとすがすがしい景色に出会いました。アトランティスを沈めたと言われているボルケーノが目の前に広がります。
高速船から見えた動く巨大ビルのようなクルーズ船は、タウンから見下ろしても、遠いのに小さくは見えません。
- ホテルのフロント前から -
ホテルでは、中腹部に見えるテーブルで朝食をいただきますが、さすが山頂、夏でも朝は寒かったです。
>>ホテルで出迎えてくれたネコちゃん達
□フィラタウン - Fira town -
島の中心部だけあって、レストランや土産物店がひしめき、シーズン中は観光客で賑わっています。ボルケーノサイド(シービュー)には、ムーディーなレストランやカフェが軒を連ね、メニューも割高な設定になっています。タウン内にはタベルナや土産物店が並んでいます。
所狭しと並んだ魚達が、料理されるのを待っています。
観光地だからといって高をくくっていると、シエスタで入れなくなる店もしっかりあります。
観光客のみならず、ネコも賑わってたりしてました。
タウンから少し外れると閑散としていて、時が止まったよう。
街の外れから北方向を眺めると、イアが見えます。(写真一番奥がイア)
何度見ても、すごい地層。”遠くから見ると山頂に雪が積もったように見える”と言われているのに納得できる景色でした。
●オールドポート - Old port -
オールドポートは、大型船と火山観光の玄関口。下から上に登る手段は、
1. ロープウェー 2. ロバ 3. 徒歩
の3つです。クルージング船の出発時間が近づくと、タウンのロープウェー乗り場は、
寄港していた観光客が船に戻る行列でごったがえします。大きな船ほど、「間に合うの?」と思うくらいの、ざっと100mはありそうな大行列です。
今日も旅人を乗せ、ロバが鈴を鳴らしながら石の階段を上ります。
>>サンセット
夕方に差し掛かると、違ったムードに変わります。
この島で見たサンセットは、思わず息を飲んでしまうほど。自然の美しさを体感しました。
わずかな時間ですが、いろいろな顔を見せてくれます。
夕日が沈んだ後も、違った美しさがありました。タウンも少しずつ光を放ちだします。
暗くなると、この日の夜は三日月が顔を出しました。
写真右は夜の9時過ぎですが、まだまだ宵の口。タウンが盛り上がるのは、これからです。
島が”エーゲ海に浮かぶ宝石”と言われているのが、なんとなくわかった瞬間でした。
●大聖堂 - Cathedral -
外見は、真っ白なだけで素朴な感じでしたが、中はキラキラしていました。
>>タウン内で見かけた教会
ギリシャの教会が、白い壁に青い屋根だけではない事を知りました。
色合いが可愛かったです。
○食事
ギリシャ名物カラマリ(イカフライ)とファバ(サントリーニ産の豆を茹でてペーストし、オリーブオイルをかけただけの郷土料理)。島の魚介類は、どこで食べても新鮮で美味しかったです。ファバは少しクセがありましたが、それをオリーブオイルとオニオンで緩和しながら食します。豆好きなら「面白い豆料理を食べた!」という感じです。
サントリーニ島がギリシャ屈指の観光地であることを実感できました。観光箇所は少ないものの、どこを見ても絵になる風景で、溜息が止まりませんでした。
■ 旅の参考文献デロス島 (ギリシャ) [ギリシャ]
■ Delos
双子で太陽の神アポロンと月の女神アルテミスの生誕地で信仰を集めた、デロス島。
デロスとは、ギリシャ語で「明るい、輝く」という意味。島の名前は、これらの神の由来からきているのか、または国際貿易港として繁栄した意味からなるものか。
ここは、島全体がユネスコの世界遺産に登録されています。
ミコノス島から高速船で約40分。移動中の船上では、軽いクルーズ気分が味わえます。
ミコノス島の目の前に位置する小島。教会のみ建つ、少し気になる離島でした。
- デロス島の玄関口 -
- 港からキントス山方面を見上げる -
この島の始まりは、紀元前10世紀頃にイオニア人の入植からはじまったそうです。
島で一番古い遺跡は、当時、周辺海域で大きな力を持っていたナクソス島の人々がこの島を管轄し、アポロンの聖域としていろいろなものを奉納していたものだそうです。
本格的に栄え始めたのは、アポロン神殿が造られた紀元前5世紀以降。アテネがペルシャとの戦いに備えるため、そしてエーゲ海支配を強化する意図からデロス同盟を結成し、島はアテネの管轄に移りました。
遺跡巡りは、港前の紀元前2世紀頃の古代アゴラから開始。
ものすごい文字の羅列が刻み込まれていて、何と書かれているのか気になります・・・
この周りには商売の神、ヘルメスに謹呈された大理石仕立ての円形建物等が周辺に何気なく置かれています。
- ヘルメスに謹呈された建物の一部 - - 古代ベンチ!? -
- 聖なる道 - - フィリップ5世の柱廊 -
度々、雄牛を形どったものを見かけました。写真は、アンティゴノスの回廊の一部で、ドリス式の柱に装飾として付いてました。
ナクソスの柱廊エリアは、紀元前6世紀頃には32トンにもわたる大理石で造られた9メートルほどのアポロンの巨大像が建っていたそうです。これは古代ギリシャのクーロス像だったと言われていて、その特徴は、正面に向かって左足を前に出し、手には弓や矢を持った長髪の青年だったそうです。
- 壁の上部に。雨水の逃げ口!?- - 大理石に十字と鳥の模様 -
●アンティゴノスの柱廊 - Portico of Antigonos -
紀元前250年頃のもので、長さ120m:幅20mの柱廊。
- アンティゴノスの柱廊 - - Praetor Gaius Billienus -
●ミノアの噴水 - The Minoan Fountain -
紀元前6世紀頃にアンティゴノスの柱廊の外側にあった公共施設で、当初は南側を除く3面に壁があり、屋根も付いていたそうで、現在はそれを支えていた柱が囲むように残っています。
- ミノアの噴水 - - 所々にイオニア式の柱が -
紀元前の廃墟とはいえ、かなりの建物跡。
部屋と部屋の出入り口は、アーチ形や三角形。
玄関や窓は四角。
窓は、手を上に伸ばしたくらいの位置に小さくあります。照りつける太陽を遮るためか。。。
- 井戸 - - 下水路 -
☆これを拝みたいためにやってきましたデロス島まで!☆
●デロスのライオン像 - Terrace of Lions -
紀元前7世紀のナクソス人の奉納品で、ナクソス産の大理石で出来ています。当初は8~9頭だったと言われていますが、9~19頭とも。現在は5頭。
オリジナルは1999年にデロス博物館に移され、跡地にはレプリカが並んでいます。
●ポセイドンの柱廊 - Establishment of the Poseidoniasts -
ポセイドンの柱廊周辺は、多くの宝石が発掘されたそうです。
ゴージャスな装いだった事でしょう。細かい細工は、当時のファッションへのこだわりがうかがえます。
この島が最も輝いたのはヘレニズム期で、人口は3万人だったと言われています。
宗教の自由が認められていたため、イタリア・シリア・エジプトなど地中海全域から裕福な商人、船主、銀行家たちが移住し、商店や倉庫、豪華な住居などを次々に建設。租税や関税がなく国際商業都市としても栄えることに。前2世紀のアルテミスの神殿や屋上テラスのあるヘルメスの家は、繁栄の象徴です。
シリア人はシリアの神殿、エジプト人はセラピスやイシスなど自分達が信仰する神々の神殿をキントス山の近くに建て、サトモラケの神殿にはサトモラケの人達が古くから信仰していたカベイロイが祀られていたそうです。
縦5キロ、横1.3キロほどの小さい島は、聖域から国際色豊かな都市へと変わりました。
□イーシスの神殿周辺
□エジプト人の神殿周辺
□サモトラケの神殿周辺
●キントス山への登山
山を見上げていると登りたくなり、吸い込まれるように登り始めました。
修行の域に入ったと思わされるほど、予想外の勾配の険しい凸凹坂道。
頂上からは島全体が一望でき、見晴らしは爽快でした。
島を埋め尽くすほどの遺跡の数々。
●仮面の家
役者のための宿だったという説が。
多くのモザイクが、修復によりよみがえっています。
- パンサーに乗った演劇の神、ディオニソスのモザイク -
●ドルフィンハウス - House with the Dolphines -
- 可愛いモザイク - - ドルフィンハウス周辺 -
●古代劇場跡 - Theatre -
紀元前3世紀頃の建造で、5,000人を収容したそう。
劇場下にある紀元前3世紀に造られた貯水槽
古代劇場から流れ落ちる雨水が貯まるようになっています。
●クレオパトラの家
ローマ期の大富豪の邸。
クレオパトラの家にある二つの像は、女主人クレオパトラとその夫だそう。
2000年以上の時を経ても、仲良くキントス山に向かって立ち続けています。
これを設置した当初、数千年後も守り続けられている事を考えていたでしょうか。。。
ヘレニズム時代の家屋が建ち並ぶエリア。
通りに足を踏み入れると、当時のざわめきが聞こえてきそうな気さえします。
柱にライオンの像の装飾があり、広い中庭がある大きな家。ライオンはシリアの神のシンボルであることから、シリア商人の家だったと仮定されています。
- まだまだ修復中 - - 中庭 -
- 家の床下の排水設備 - - 玄関より港方面 -
- 一般的な家屋の中 - - 壁に埋め込まれている大理石の椅子 -
一部屋一部屋は狭く、ワンルームほどの広さです。
通りを下った先には海があり、のどかな感じです。どの道幅も狭く、二人並ぶとふさがります。
ここではよく見かける、波柄に縁取られたモザイク。お気に入りです♪
港前には、商店が建ち並んでいた跡があります。奴隷売買も栄えていたという事なので、奴隷が窓もないこれらの部屋に閉じ込められていたのでしょうか・・・
多い時には、一日に一万人もの取り引きがあったそうです。。。
度重なる略奪と海賊の襲撃を受け幕を閉じる事となったのは紀元前88年。小アジアのポントス王ミトリダテスによる略奪に遭い一夜にして死の街と化してしまった島民の大量虐殺があって以降、1873年にフランス人調査団に発掘されるまでは廃墟と化し、発掘は現在も続いています。
心残りながらも、かなりの疲労を隠せずミコノス島へ戻りました。。。
白い家々が目に入った瞬間、タイムスリップから戻った気分に。
ミコノス島のオールドポートに帰港
デロス島は、遺跡好きには楽しめる島。どこへ向かって歩いても、何かの遺跡にたどりつきます。
ですが、博物館以外は日陰が無いに等しく、遺跡に没頭し過ぎ休憩を怠ると、照りつける太陽にグッーーータリです。
2000年以上前のものばかりなので草の茂りも多く、少し脇道を進もうとすると、雑草を掻き分けて歩くことも。個人的には充分楽しめた世界遺産でした。
ミコノス島 (ギリシャ) [ギリシャ]
■ Mykonos
”紺碧のエーゲ海に浮かぶ白い宝石”と称される、ミコノス島。
フェリーでピレウス港から5時間半。そこには、夏のバカンスに訪れる人々で賑わいをみせる、ビーチアイランドがあります。
移動中の船上は、気がつくと、ただボーッと風になびく国旗を眺めていて、あらためてギリシャにいることを認識。船旅も3時間を過ぎたところでそろそろ飽きはじめ、周囲を見渡してみると寝てる人、ゲームに盛り上がるグループ、ひたすら話続ける老夫婦、個々それぞれの時間を楽しんでいました。
- 途中、他の船とおっかけっこ - - 国旗をボーッっと眺める -
ミコノス島へ上陸。
- 船上からのオールド・ポートの眺め - - 運んでくれたフェリーにお別れ -
オールド・ポートの発着所を見下ろすと、ホテルの客引きでごったがえしています。下船する人に続くと、「ホテルは?」「ホテルは?」と声をかけられ始めます。予約しておいたホテルの送迎車を探していると、客引きのおじさまに「どこのホテル取ったの?」と聞かれたのでホテル名を答えたら、「あそこにいるよ。」と指をさして教えてくれました。
島の中心は、ミコノス・タウン。白い迷路散策が楽しめ、一歩足を踏み入れると、車や人が所狭しと行きかっています。
この迷宮へは、あえて地図を見ずに歩き始めました。すると、言わんばかりに同じ通りに出くわす始末。「あれ、、、さっきこの犬見た・・・」(4回目に出くわした時には苦笑です^^;)
シエスタが多い通りは静かな午後。
狭い中で、教会をフレームに入れるのは一苦労。
●カト・ミリの風車 - Windmils of Kato Mili -
タウンにいつくか風車はありますが、海側にある6つの風車はミコノスのシンボル的存在。
- 海に向かって並ぶ風車 - - 哀愁漂う後ろ姿 -
- 風車からの眺望 -
この近くには、海沿いにレストランが並んでいます。
次に目指したのは、小高い丘の上にある風車。
少し上っては振り返り。なかなか開けた景色が見れません。
- 猫ともしばし出くわします - - 眺望はまだおあずけ -
●ボニの風車 - Boni's Windmils -
見晴らしのいい丘にある風車。内部を見学できるのは、ここだけです。
- 小高い丘にポツンとあります - - ニュー・ポート方面まで見えます -
ミニ・ボニ風車発見!ミコノス・タウンを見下ろしていました。
ボニの風車からの眺め。タウンが一望できます。
ほぼ真っ白。汚れるとすぐに白いペンキを塗り足すそうです。
>>丘を下って海辺方面へ
湾を囲むように、レストランが並んでいます。
朝市には、イルカの台の上に採れたての魚がドサッーと並ぶそうです。
ここの3羽のペリカンは名物化していて、いつも観光客のカメラに囲まれています。
●セント・ニコラス教会 - St, Nikolas Church -
ガイドブックによく載っている教会で、絵になる立地にあります。内部はこじんまりしています。ちなみに私が持っているガイドブックには教会の前にあるベンチは一つですが、訪れた時は3つに。
滞在ホテルは伝統的なスタイルを選択。ギリシャらしい外観だったので写真を撮ってみました。
ロビーから部屋にたどりつくまで、狭い階段を上がったり下がったり。日常にこの感覚が無いので、少し病みつきになりそうです。雨が降ってしまうと、心なし難儀です。
ホテル内でも、猫さんとすれ違い。
怖がられたかな。。。
当日に予約を入れたにも関わらず、見晴らしの良い階に。
- バルコニーより -
タウンからは少し離れていますが、のんびりと過ごせました。
下を見ると、猫が徘徊中。
- ここの猫になりたい☆ - - ホテル内にも教会が -
シエスタという習慣には、すぐに順応できました^^; 一番のサプライズは、二日目のシエスタ後。暗くなってないかバルコニーの方を向くと、窓いっぱいにクルーズ船が出現していて、夢じゃないか飛び起きた事です。
港にクルーズ船が停泊している日は、より一層風景の美しさが増します。
ホテルを発つ朝、虹が。(後で2本になってました。)
○食事
- 手軽に食べれるギロ・ピタ - - イカ丸ごとグリルしただけ(Simple is BEST) -
ミコノス島は、ゆっくりと時間が流れていて、バカンスに打って付け。
タウン内は半日あれば網羅できるので、後はホテルやビーチでまったりするのが良さそうです。
また、ギリシャ・ヨーグルト(すくった地点から手にどっしりと重さを感じ、ボールに入れるにはスプーンで振り落とさないと、なかなか落ちない固さ。重い生クリームのような感じ。)は、濃厚タイプ好きにはたまりません。