ローマで休日 Ⅳ (ラツィオ州) [イタリア]
久しぶりのローマ散歩 何度でも訪れたいコースを中心に散策しました。
スタートはサンタンジェロ橋とサンタンジェロ城を眺めながらテベレ川を渡り、
和解の道からヴァチカンへ。
サンピエトロ広場を横断し、向かって右側にあるセキュリティを抜けサンピエトロ大聖堂へ。
ミケランジェロの傑作、ピエタ像がお出迎え。
色褪せる事のない美しい大聖堂内部。
ベルニーニの天蓋に光が射していて幻想的でした。
ラファエロのキリストの変容も必ずチェック。
無心になって徘徊。
アレクサンダーⅦ世の記念碑の迫力に目を奪われ、扉があることを忘れます。
いつも大行列のヴァチカン美術館は休館日。
ヴァチカンの後は、ポポロ広場の双子教会前を通過し、
ボルゲーゼ公園へ。
ピンチョの丘からの変わらない景色を眺めるのも好きなポイントの一つです。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂もよく見えます。
公園を抜けてスペイン階段へ。
人で埋まり気味な階段に座って、
スペイン広場前のコンドッティ通りを眺めてみました。
バルカッチャの船の噴水も人気。
コンドッティ通りにある重要文化財、17世紀開業のカフェ・グレコで休憩
ヴァチカンと合わせて必ず行く場所、パンテオン。
入ってまず見上げる天井。
ラファエロのお墓も漏れなく。
タッツァドーロでは軽くお茶をしてコーヒー豆を買って帰ります。
少し離れた所にあるベルニーニの蜂の噴水。ベルニーニ家の紋章である三匹の蜂がいる可愛い噴水です。
前回はお掃除中で水がなかったトレビの泉。今回は泉が湧いていました
●サンタ・マリア・マッジョーレ教会 - Basilica di Santa Maria Maggiore -
エスクィリーノの丘に「雪の降ったところに教会を建てよ」とお告げの夢を見た後に、真夏にも関わらず雪が降って以来、雪の聖母マリア大聖堂とも。ローマの四大聖堂の一つ。
身廊から側廊まで美しい空間。壁のモザイクは5世紀のもの。
天井も綺麗でした。
15世紀につくられたシスティナ礼拝堂。
主祭壇の下には地下聖堂も。
祈る姿がリアルでした。
キリストが生まれたときに置かれた「まぶねのかけら」の聖遺物が納められているそうです。
広々とした教会前の広場に出て、
カンポ・デ・フィオーリ広場に食事へ。
美味しそうなパンやスイーツ。
○食事
カルボナーラ発祥の地ローマでカルボナーラをいただくため、ラ・カルボナーラへ。
サラダはアンチョビ風味。
ここはカルボナーラをペンネでいただけるのが特徴。
一日にして成らないローマ。何度行っても飽きないところが魅力です。
次は、ブタペストです。
■ 旅の参考文献
ローマで休日 Ⅲ (ラツィオ州) [イタリア]
1000年以降の建造物を巡る散歩は、遺跡エリアと隣り合わせのカンピドーリオの丘から。
●カンピドーリオ広場 - Piazza del Campidogio -
名前の通りカンピドーリオの丘にあり、階段の上には左右にギリシャ神話でゼウスの双子の息子カストルとポルックスの巨像が。訪れる度に、この巨像を下から見上げるのが楽しみです。
遠くから見るとあまりわかりませんが、巨像の麓まで来るとその大きさに驚かされます。
ミケランジェロによって作られた幾何学模様の広場は1654年に完成。中央にあるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像はレプリカで、オリジナルは美術館の中に。
● サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会 - Santa Maria in Aracoeli -
今の建物は13世紀の初めに建てられたもの。カンピドーリオ広場からヴェネチア広場へ移動する間にあります。
● ヴィットリアエヌマーレ2世記念堂 - Monumento a Vittorio Emanuele Ⅱ -
ヴェネチア広場にイタリア統一の立役者であり初代の国王の偉業を記念し1911年に完成。
最上部の16本の巨大な柱で構成された柱廊にはイタリア諸州のシンボル像、柱廊の上両端にはブロンズ製の勝利の女神が操る4頭立ての馬車が。建物の中は戦争関連の展示物があります。
● トレビの泉 - Frontana di Trevi -
この先にあるの?と思うような密集した建物を抜けた先に大きな泉があります。
起源は、町まで引いてきた20kmの水道の末端に泉を作ることが習わしだった紀元前19年。
初めのトレビの泉は樋から落ちる水を3のつ水盤で受けるものでしたが、蛮族の侵入で破壊。次の再建は1453年で、一つの水盤と背後の壁面に装飾を。その後、1762年にニコラ・サルヴィがベルニーニの残したデザインに基づいて完成させたと言われています。
古代の凱旋門に見立てた壁面は、後期バロック芸術の傑作。中央の像は海神ネプチューン。
観光客でにぎわっていると思いきや、「トレビの泉」がただの「トレビ」に。
綺麗な水色の泉だと思っていましたが、定期的なお掃除があってこそだったんですね。再訪を願って投げたコインの行方は・・・?
以前、水があるときに撮った写真はコチラ↓
お掃除もなかなか見れないと思うので面白い場面でしたが、初回であれば少しガッカリですね。
坂のUPDOWNがあるヴェネト通り。バルベリーニ宮の迫力ある柱が建ち並んでいます。
バルベリーニ宮の門は、「ローマの休日」でヘップバーン演じるアン女王が、門を駆け抜けるシーンで使われていて有名ですが、個人的には門正面より力強く建ち並ぶ通りから見た柱がお気に入りです。
● スペイン広場 - Piazza di Spagna -
フランス国王ルイ12世が16世紀初頭に建てたトリニタ・デイ・モンティ教会の前に、ルイ15世が18世紀前半に完成した137段の階段。作ったのはフランス国王なのに、かつて階段の右側にスペイン大使館があったせいかスペイン広場、スペイン階段と呼ばれるように。。。
オベリスクは1789年に巡礼者の歩く道順を示す目的でおかれたものです。
トリニタ・デイ・モンティ広場から望んたスペイン広場。
奥にはブランドショップが建ち並ぶコンドッティ通りが伸びていて、その通りにはゲーテやアンデルセン、ロッシーニ、リスト、ワーグナーなど多くの文化人や著名人に愛され、今では重要文化財になっているアンティコ・カフェグレコがあります。
● ポポロ広場 - Piazza del Popolo -
ローマの北の玄関口で、ローマ巡礼の人々の通り道となったポポロ門の内側にある広場。巡礼者はここで身元確認と納税を行い市内に入ることが許されたそう。
中央のオベリスクは、紀元前1200年頃にエジプトで造られたもので、アウグストゥス帝が持ちかえったラメセス2世時代のもの。1589年に巡礼者の道しるべとしてこの広場にチルコ・マッシモ競技場から移築。台座を入れて36.5m。
※チルコ・マッシモ: フォロロマーノの南にローマ時代最大の円形競技場がありました。馬の引く戦車競走が繰り広げられていたそうで、長さ620m、幅120mの場内は15万人が収容できたと言われています。
双子教会といわれているバロック建築のサンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会は17世紀後半に建造。
ポポロ広場からローマ市内が一望できる「ピンチョの丘」へ登れます。
ピンチョの丘から見た、ポポロ広場。遠くにサン・ピエトロ大聖堂のクーポラが見えます。
テルミニ界隈
ローマでの滞在はいつもテルミニ駅周辺。移動に便利で、小腹を満たすカフェも多く、駅地下のスーパーが遅くまで開いていたりと何かと使えます。
時間と体力が許す限り歩き周りたい永遠の都、ローマ。「ローマは一日にして成らず」というフレーズを身に沁みて感じとれる町です。
■ 旅の参考文献
ローマで休日 Ⅱ(ラツィオ州) [イタリア]
ローマの深さを感じれる遺跡エリアの散歩は、見応えのあるコロッセオから。
● コロッセオ - Colosseo -
ネロ帝の黄金宮殿庭園跡の池部分に建てられ、80年から利用され始めた巨大円形競技場。
皇帝や有力元老院議員が人気取りのため市民に無料で小麦を配給し、闘技や演劇などの催し物を提供した政策「パンとサーカス」というローマ社会の象徴的な時代に誕生。
ローマで初めての巨大娯楽施設で直径188m、周囲527m、高さ57mの劇場は5万人収容。コロッセオ外側の各アーチの中には、一体ずつ人気のある剣闘士の彫像が飾られていたそうです。
当時の出入口は80箇所あり、切符によって入口が決められていたそうです。
訪れた観客を圧倒させるため、細くて暗い通路を抜けると、光りの中にドーンと盛大な競技場が目に飛び込むような設計にしているとドキュメンタリー番組で観たことが。
写真ではわかりにくいですが、人の大きさと比べるとかなり巨大な建物だとわかります。
連日、宗教的な祝祭、狩りや戦車競走、凱旋祝いや演劇、パントマイム、罪人の処刑が催されていましたが、一番ローマ市民を熱狂させていたのは闘技会(ムネラ: 剣闘士 vs 剣闘士、ヴエナテイオネス: 剣闘士 vs 猛獣)でした。
煌びやかな衣装が展示されています。
敗れた剣闘士は慈悲を観客にゆだね、生か死かは観客の親指の向きで決まりました。勇敢に闘った剣闘士に対しては親指を上に、親指が下に向くと対戦者に喉を差し出すルールでした。意味は変われど2000年を経た今でもこのフリは残っていますね。
ティトゥス帝の杮落としでは、アリーナに水を張り船を浮かべ模擬海戦が行われたり、闘技会では約2,000人の剣闘士と5,000頭の動物が命を落としたそうです。
煉瓦で造られた回廊は天井が高く、広々としています。
壁にはギッシリと煉瓦が詰まっています。
建物は地下1階、地上4階建てで、身分性別により仕切られていた客席は1列目が元老院議員用、次が身分の高い男性、平民男性、女性、奴隷は立ち見席だったそうです。
コロッセオから見た「コンスタンティヌスの凱旋門」。ローマで一番高い凱旋で高さ約28m、315年に建造。
長い繁栄を誇ってきたローマ帝国が、3世紀に入ると蛮族の攻撃に備えるために高い城壁を築くことに追われ、記念物の建築材が不足しがちに。この凱旋門もほとんどが過去の記念物からはぎ取ったものが張り付けられています。
猛獣の檻、機材、道具置き場、おおがかりな舞台装置などがあった地下部分が丸見え。
屋上は外の柱を利用し日よけの天幕が張られ、一定箇所に20分以上日差しが当たらないように施されていました。
コロッセオからフォロローマーノ方面。聖なる道の奥にティトゥスの凱旋門、丘の上にはパラティーノ博物館が見えます。
コロッセオは、キリスト教が公認された6世紀半ばに廃止され、表面を飾っていた白大理石や石材は建築資材として持ち去られたそうです。
コロッセオの外では、結婚記念の撮影をしている新郎新婦がいらっしゃいました。
小麦色の肌に白いドレスが素敵です。
● フォーリ・インペリアーリ - Fori Imperiali -
フォロロマーノの北にある「諸皇帝の広場」。皇帝たちの名前を冠した建造物が立ち並び、商業、経済、政治、宗教活動の場として繁栄しました。
アウグストゥスのフォロ
紀元前2年に完成。広場の奥に復讐の神マルスの神殿、両側にエクセドラ付の柱廊で囲まれていました。当時は色大理石が用いられてローマで評判の美しさだったそうです。
左の柱廊の端には、今でもアウグストゥス帝の像の台座が残っています。
トラヤヌスのマーケット
半円形のカーブした市場は保存状態のよい建物です。
1Fは11に区分、2Fは雨の日でも買物ができるアーケードが備えられていた回廊、3Fはテラス。
カエサルのフォロ
紀元前54~46年に建造。カエサルの騎馬像が置かれていたそうです。
● フォロ・ロマーノ - Foro Romano -
古代ローマ時代に市民の集会や裁判、商業活動や政治討論の場として設けられていた公共広場。カエサルの構想の元、紀元前1世紀頃から建築が始まりました。
私の中では、ローマで一番歴史を感じる場所です。
セプティミウス・セヴェスルの凱旋門
203年の建築でローマの軍神マルスをいただく大アーチに、パルティア遠征の主要場面が描かれた2つのアーチが特徴。高さ21m。
サトゥスヌスの神殿跡
紀元前42年に再建された神殿。ガリア遠征の戦果を告知する掲示板があったそうです。サトゥスヌス祭り(12/17~23)の期間中は、身分が逆転し主人が奴隷に仕えたというユニークな説が。
古代ローマの聖なる場所の一つで国家の財宝が収められていました。
一つ一つの遺跡の歴史を振り返るごとに、惹きつけられるそれぞれのエピソード。深い街です。。。
■ 旅の参考文献
ローマで休日 Ⅰ(ラツィオ州) [イタリア]
ローマは一日にして成らずですが主要箇所の観光は一日で周れる、ローマ。
狭いエリアの中に、さまざまな歴史が凝縮されているので何度訪れても飽きない街。
空港から市内への列車でまず洗礼を受けたのは、真夏なのに空調が故障しているサウナ状態のレオナルド エクスプレスの車両。着いた実感がまだなかった私にとっては、そこで始めて『あぁ、イタリアに着いたー』と変に喜んでしまいました。
今回は南イタリアへの通過で立ち寄ったため、散歩しておきたい場所を絞って回ることに。
緑が多いテヴェレ川沿いは散歩には最適で、真夏で太陽が照りつけていても樹の影があるので歩いているだけで爽快。川沿いでの見どころはサン・タンジェロ城です。
● サン・タンジェロ城 - Castel S. Angelo -
139年にハドリアヌス帝がローマ皇帝の霊廟として建造。ペストが流行していた590年に大天使ミカエルが現れ治まったことから、サン・タンジェロ(聖天使)城と呼ばれています。
真夏のテヴェレ川沿岸ではサンデッキが置かれ、日光浴を楽しむ人が横になっていて快適そう。
テヴェレ川に架かるサン・タンジェロ橋。目と鼻の先には、バスが通るエマヌエーレ2世橋。
サン・タンジェロ橋にいろいろある像の中には、ベルニーニ作の天使の像も。
サン・タンジェロ城の塔の中心には天使のブロンズ像。オリジナルは内部に展示されています。
● ナヴォーナ広場 - Piazza Navona -
約250m×約50mの長方形の広場はローマ時代に競技場だった名残で、ローマで最も美しいバロック様式の広場と言われている広場には3つの大きな噴水があります。
ムーア人の噴水 - Fontana del Moro -
イルカと戦うムーア人の彫刻やベルニーニが造った水受け盤などがあります。勢いのあるムーア人の形相が印象的です。
四大河の噴水 - Fontana dei Fiumi -
四大河とはナイル・ガンジス・ドナウ・ラプラタ。噴水の四隅にはそれを擬人化した寓意像が見受けられます。
広場の中央で凛として建っているオベリスクはローマ時代のもので、マクセンティウス帝の競技場から運ばれてきたもの。
ついついオベリスクを見上げてしまうので噴水を見逃しがちですが、改めてみるとその大きさに驚きます。
ネプチューンの噴水 - Fontana del Nettuno -
水盤の中から馬が飛び出てきたような動的な像がお気に入りです。
● サンタゴスティーノ教会 - Sant Agostino -
1483年に完成した初期ルネッサンス教会。
「出産の聖母」「預言者イザヤ」「巡礼の聖母」が見ものです。
台を組んで内部をお掃除中だったので、邪魔にならないように隅から見物。
真ん中にあるのが、カラヴァッジョの傑作「巡礼の聖母」。
お掃除でいろいろなものにテントがかかっていましたが、これはセーフでした。。。
今年は没後400年になるカラヴァッジョ。駅の構内では、いたるところにそれっぽいことが書かれたカラヴァッジョの特別展らしき広告を見受けました。
カラヴァッジョらしさが出た暗さと光りの広告です。
● ロトンダ広場 - P.za d. Rotonda -
小さいオベリスク付きの噴水があるロトンダ広場。パンテオンを臨むならここから。
● パンテオン - Pantheon -
紀元前27年にアグリッパにより建造、80年に焼失し125年に建築家としても有名なハドリアヌス帝により再建されました。「すべての神々の」という意味で、すべての神々に捧げられた世界最大の石造建築の神殿です。
ドームは直径とドーム頂上までの高さがともに43.3m。以前は天井の内側が沁みだらけだったのが綺麗になっていました。
中央の円形窓は太陽を模し、神殿全体が世界の中心であることを表現。
私にとってここは、パンテオンに埋葬するよう言い残し、その遺言の通り王と並んで埋葬されているというラファエロの偉大さを感じる場所です。
- 1520年に没した画家のラファエロのお墓 -
パンテオンからみたロトンダ広場。観光客で賑わっています。
● サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会 - Santa Maria Sopra Minerva -
象が可愛いモニュメントが特徴の紀元前6世紀のミニオベリスクが建つミネルヴァ広場に、ローマでただ一つのゴシック様式の教会があります。
祭壇左側で十字架を持っている像は、ミケランジェロ作「あがないの主イエス・キリスト」
イタリアの教会は、外観からは想像できない内部の美しさに驚かされます。何事も、見た目だけでは決めつけれないというところでしょうか。
暗い教会の中で外から差し込む光を見ると、心が浄化されるような気分になります。
なんて書かれているのでしょう・・・
● ピエトラ広場 - Piazza di Pietra -
145年に建てられたコリント式列柱が特徴のハドリアヌス帝の神殿が臨める広場。ボーっとしていたら通り過ぎそうなくらい密集した建物の中にあります。
タッツアドーロ - La Casa del Tazza d'Oro -
ローマに来ると必ず訪れるバール。この辺りは昔、コーヒー焙煎所が立ち並んでいたそうです。
ロトンダ広場から見える場所にあり、広いとは言えない店内は観光客でいっぱいです。
■ 旅の参考文献
アッシジ (ウンブリア州) [イタリア]
■ Assisi
スバシオ山の中腹にある守護聖人フランチェスコが眠る町、アッシジ。
ローマからは列車で約2時間強。アッシジ駅前からバスで5分ほどで町に到達します。
訪れた日はメーデー、のどかな町に多くの巡礼者を含む観光客でごった返していました。
●サン・フランチェスコ聖堂 - Basilica di San Francesco -
町では低い位置にありますが、それでも石畳の坂を上っていきました。聖堂は上下2層になっていて、地下には聖フランチェスコのお墓があります。
写真、真ん中あたりが下堂の入口で、その横にある階段を上がると上堂の入口があります。
聖堂内は、聖フランチェスコの生涯や聖書の逸話を豊かに描いたフレスコ画で埋め尽くされていました。(聖堂内が撮影不可だったのが残念・・・)壮大なフレスコ画を前にして、「キリストの再来」と言われた聖フランチェスコの偉大さがうかがえました。
上堂の入口前からは、下堂入口前広場と田園風景が望めます。
上堂前からアッシジの町方面を見上げると、上空にパラグライダーで飛んでる人がいました。
「気持ちよさそう~~~」
余談: この聖堂は、1997年にマグニチュード6.5の直下型地震に襲われ、聖堂は天井の2ヶ所が崩落し、床一面に天井や壁面のフレスコ画が散乱したそうですが、翌日にはボランティアが結集し、2000年まで修復作業が続いたそうです。現在は、この話が信じれないほど完全に修復されています。
聖堂を出て町の中心部へ進む方向は細い路地裏のような上り坂のみ。路地には、通りごとにいろんな種類の旗がかざされていて(メーデーだから?)、次は何色の旗だろう、そして各旗にはどのような意味が込められているんだろうなどと、いろいろ考えながら歩くのに楽しい光景でした。
●コムーネ広場 - P.za d. Comune -
古代ローマ時代から町の中心であった広場。写真の右端にチラッと写っている噴水はライオンの石像で飾られていて、16世紀に造られたものだそうです。
- 奥に見える2つの路地には、違った色の旗が -
上の写真とは違う旗が立つ路地から、コムーネ広場に向かって撮ったミネルヴァ神殿。
●ミネルヴァ神殿 - Tempio di Minerva -
紀元前1世紀のローマ建築。18世紀末にゲーテが訪れ、著書「イタリア紀行」の中でこの神殿の事を、完全な姿で残る古代の建築美として絶賛しています。
メイン通りを外れると、静かな空間が垣間見れます。
路地を歩いてる途中、通りの壁に(2階の高さ辺り)イエス様が祭られていました。
美味しそうなケーキ屋さんは、絶えず人が出入りしていました。
●サン・ルフィーノ大聖堂 - S. Rufino -
12世紀に建てられた聖堂で、正面はロマネスク様式。聖フランチェスコと聖キアラが洗礼を受けた際に使われた洗礼盤が残されています。
大聖堂の裏手にある観光客が居ない路地では、羊毛を干していました。フサフサで、ものすごく温かそうな羊毛でした。
- ここは緑色の旗・・・ -
いたる場所の建物と建物の隙間から、丘の上に建つ大要塞が見えます。
- 写真中央の丘に立つ建物が大要塞 -
●サンタ・キアーラ聖堂 - Basilica di Santa Chiara -
サン・ルフィーノ大聖堂から坂を下ると、白とピンクの大理石で造られたサンタ・キアーラ聖堂に出ました。この地下にも、聖フランテェスコ聖堂と同様、聖キアーラのお墓が遺品と共に収められています。
サンタ・キアーラ聖堂に向かって左側の通りの奥にヌオーヴァ門が見えました。
キアーラ聖堂前の広場から見た、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂方面。近いのにこの段差。アッシジの町が、丘にそびえ建っていることを改めて実感。
○食事
トスカーナで採れた野菜のビュッフェとシンプルなトマト味のペンネ
アッシジは、サン・フランチェスコ聖堂に入るまで、”中世の面影を残した、丘にそびえ立つ町”という印象でしたが、サン・フランチェスコ聖堂に入り、下堂で静かに祈りをささげる巡礼者、地下室のお墓の前でひざまついて祈り続ける巡礼者、そして上堂の壮大なフレスコ画を見て、さらに町中に祭られたイエス様を見ながら歩くと、「神聖なる巡礼地」と強く感じました。特にフレスコ画は、一度では頭に焼き付けれないほどの数です。
石畳の坂の町とも言えるほど、足腰をよく使って歩きます。訪れる方は、必ず歩きやすい靴で挑んでください。
ペルージャ (ウンブリア州) [イタリア]
■ Perugia
古代エトルリア時代からの重要な都市、ペルージャ。
南イタリアのギリシャ文化とほぼ同時代に、中部イタリア地方にはエトルリア人の都市が建設されていましたが、紀元前1世紀に初代ローマ皇帝のアウグストゥスに敗れてしまいました。BC3~4世紀に作られたとされる城壁が今も残っており、エトルリア門にはアウグストゥスの名が刻まれています。
現在は、ウンブリア州の州都。青★マークでおなじみのチョコレート、ペルジーナ社があり、ヨーロッパ最大のチョコレートの祭典であるユーロ・チョコレートが秋に開催されています。
ローマからは列車で約2時間ちょっと。駅から小高い丘にある町へは約1kmほどです。
中世の町並みは、幻想の世界へと迷い込んだようです。
- イタリア広場前にある県庁 -
県庁の裏手には、旧市街を見下ろせる展望台がありました。
県庁から伸びる広い通り、コルソ・ヴァヌッティ通り(Corso Vannucci) には、11月4日広場に突き当たるまで、いろいろなお店が建ち並んでいます。そこで、チョコレートとケーキを入手☆
写真は店内にて。中身は写真を撮る前に食べてしまいました・・・^^;
●プリオーリ宮 - Pal. dei Priori -
市庁舎として使われており、4階はウンブリア派の絵画などを展示した「国立ウンブリア美術館」があります。その中でウンブリアを代表するピエロ・デッラ・フランテェスカ作の”サンタントニオ祭壇画”が至宝です。
市庁内では、音楽隊が合奏されていました。
11月4日広場(P.za Ⅳ Novembre)にあるニコラ・ピサーノ作の大噴水(Fontana Maggiore)と、背後にはドゥオーモ。
ドゥオーモ内は、シャンデリアに点された明かりが、素敵な空間を作っていました。
○食事
- バルサミコがかかったコッパ - - ポルチーニ茸のスパゲティ -
ペルージャは”閑静な中世の面影を残す町”という印象を受けました。外国人のためのイタリア講座が受けられるペルージャ大学もあり、観光地というよりは静かに暮らす町という空気が流れていました。
■ 旅の参考文献