景福宮と紅葉 (ソウル) [韓国]
■ 景福宮
1394年の創建時は12万6千坪の敷地に200棟を超す建物があった朝鮮王朝の王宮、景福宮。
正殿まで3つの門をくぐるだけでも、その広大さを実感しました。
光化門
景福宮の正門として1395年に創建。1592年の文禄慶長の役で景福宮とともに焼失。2010年8月に高宗時代に書かれたのものがデジタルで復元されました。
守門将交代儀式
朝鮮時代、王宮には守門将庁が設置され、王宮の警備を管掌し大殿を護衛する軍隊の「禁軍」が警備を担当していました。守門将交代儀式は、王宮守備の儀式を再現したものです。
不審者には背中の矢が向けられたのでしょうか。600年前の妄想がいろいろと広がりました。
敷地内は外敵からの侵入を防ぐため、周囲は9つの壁で囲まれています。
興礼門
光化門の後方に建っている門。復元工事のすえ2000年に施工。
勤政門
勤政殿前の門。上の興礼門と似ていますが、手前に堀があります。
佇まいは和風と変わらない感じもしますが、屋根の内側は鮮やかです。
赤・黄・青・黒・白の5色からなる模様を多く見かけます。これは三国時代の古墳の装飾壁画から始まり、朝鮮王朝末期まで王宮・寺院だけに使われていたそうで、邪気をはらって幸運を招くための聖なる色だそうです。
ただ描いているのではなく、それぞれの意味を知ると見方が深まりました。
勤政殿
景福宮の正殿で、王の即位式や外交官の接待などが開かれた建物。
中央には玉座、その後ろには屏風。屏風には日月五峰図と言われる絵が描かれていて、朝鮮時代は王の後ろに必ず飾られていたそうです。新一万ウォン紙幣の絵柄にもなっているこの絵は、日(太陽)は王様、月は王妃、山・松・海など天地にあるいろいろなものは王様の繁栄を祈るという意味があるそうです。
壁だけでなく、柱や天井まで惜しみなく聖なる色が施されています。
日月五峰図の屏風を見かけたら、王に関わる場所だということがわかります。
王が日常的な業務を処理していた執務室。
建物の裏には日本では見ないオンドルの煙突。煙突は屋根の上だけのものではないんですね。
宗廟でも見た魔除けの雑像。光化門から始まり、いたる屋根で見かけます。
勤政殿界隈は、王と王妃が生活していた場所で、康寧殿と交泰殿は寝室。
敷地内はシンプルな佇まい。
壁が多いので、何度も同じような扉を入ったり出たりします。
遠目に見える塔は国立民俗博物館。
壁の外側にある屋根を支える柱にも装飾が施されているという芸の細かさ。
慶会樓
国の祝事に宴を行うために作られた楼閣。
派手な遊興が開かれ、王や高位に就いた者たちが快楽を追求する建物。
交泰殿
后が生活していた建物。小学生たちが韓服を着て課外授業らしきことをしていました。
交泰殿のオンドルの煙突には、幸福や不老長生を象徴する10種の事物(亀・鹿・鶴・松・竹・不老草・山・川・日・月)が描かれています。
母后が生活していた慈慶殿の煙突は、梅や菊などが描かれています。
交泰殿・慈慶殿界隈の壁は、ただ煉瓦が積まれているだけではなく、邪気をはらって福を求める祈りとして、ジグザグの紋や亀甲紋、菱形紋などの文様が施されています。
こちらの文様は、綺麗にまとまっていました。
この辺りも紅葉が色づいています。
モミジ発見。
モミジ以外も、まっ赤。
黄色も赤もこの時期にしか見れないので、見入ってしまいます。
一番奥にある建物は集玉斎一体。光化門から遠目に見えていた北岳山が近くになっていました。
乾清宮
1873年、高宗皇帝とその妃の皇后が暮らした場所。他の古宮の建築様式ではなく両班の家屋のように造られ、中国式レンガ作り、西洋式の建物なども取り入れられていました。一時は撤去されましたが2007年に元の姿に復元。
最近建てなおされただけに、住めそうなくらい綺麗です。
韓国版、映画村みたいでした。黒っぽい煉瓦の壁が新鮮です。
奥には景福宮を囲う壁。やっと端まで辿りつきました。乾清宮は柱や扉も木調のまま、壁の色も他の王宮内の建物とは違うので、独特な空気が流れています。
香遠亭
王と臣下が親睦を深めるために集まった場所。
周囲の紅葉も綺麗です。
鳥も紅葉観賞中。眺めが良さそうです。
○ 食事
白参より有効成分が多いと言われている紅参で作った紅高麗人参鶏参湯をチョイス。お財布を気にせずに紅参を食せるのも、ソウルの醍醐味です。
猫舌の私にはドキドキドキのグツグツグツです^^;
グツグツが落ち着きはじめると、コラーゲンが濃厚そうなスープの中に鶏と紅参が出現。
次は、韓屋が残る「北村と三清洞の紅葉」です。
■ 旅の参考文献
1394年の創建時は12万6千坪の敷地に200棟を超す建物があった朝鮮王朝の王宮、景福宮。
正殿まで3つの門をくぐるだけでも、その広大さを実感しました。
光化門
景福宮の正門として1395年に創建。1592年の文禄慶長の役で景福宮とともに焼失。2010年8月に高宗時代に書かれたのものがデジタルで復元されました。
守門将交代儀式
朝鮮時代、王宮には守門将庁が設置され、王宮の警備を管掌し大殿を護衛する軍隊の「禁軍」が警備を担当していました。守門将交代儀式は、王宮守備の儀式を再現したものです。
不審者には背中の矢が向けられたのでしょうか。600年前の妄想がいろいろと広がりました。
敷地内は外敵からの侵入を防ぐため、周囲は9つの壁で囲まれています。
興礼門
光化門の後方に建っている門。復元工事のすえ2000年に施工。
勤政門
勤政殿前の門。上の興礼門と似ていますが、手前に堀があります。
佇まいは和風と変わらない感じもしますが、屋根の内側は鮮やかです。
赤・黄・青・黒・白の5色からなる模様を多く見かけます。これは三国時代の古墳の装飾壁画から始まり、朝鮮王朝末期まで王宮・寺院だけに使われていたそうで、邪気をはらって幸運を招くための聖なる色だそうです。
ただ描いているのではなく、それぞれの意味を知ると見方が深まりました。
勤政殿
景福宮の正殿で、王の即位式や外交官の接待などが開かれた建物。
中央には玉座、その後ろには屏風。屏風には日月五峰図と言われる絵が描かれていて、朝鮮時代は王の後ろに必ず飾られていたそうです。新一万ウォン紙幣の絵柄にもなっているこの絵は、日(太陽)は王様、月は王妃、山・松・海など天地にあるいろいろなものは王様の繁栄を祈るという意味があるそうです。
壁だけでなく、柱や天井まで惜しみなく聖なる色が施されています。
日月五峰図の屏風を見かけたら、王に関わる場所だということがわかります。
王が日常的な業務を処理していた執務室。
建物の裏には日本では見ないオンドルの煙突。煙突は屋根の上だけのものではないんですね。
宗廟でも見た魔除けの雑像。光化門から始まり、いたる屋根で見かけます。
勤政殿界隈は、王と王妃が生活していた場所で、康寧殿と交泰殿は寝室。
敷地内はシンプルな佇まい。
壁が多いので、何度も同じような扉を入ったり出たりします。
遠目に見える塔は国立民俗博物館。
壁の外側にある屋根を支える柱にも装飾が施されているという芸の細かさ。
慶会樓
国の祝事に宴を行うために作られた楼閣。
派手な遊興が開かれ、王や高位に就いた者たちが快楽を追求する建物。
交泰殿
后が生活していた建物。小学生たちが韓服を着て課外授業らしきことをしていました。
交泰殿のオンドルの煙突には、幸福や不老長生を象徴する10種の事物(亀・鹿・鶴・松・竹・不老草・山・川・日・月)が描かれています。
母后が生活していた慈慶殿の煙突は、梅や菊などが描かれています。
交泰殿・慈慶殿界隈の壁は、ただ煉瓦が積まれているだけではなく、邪気をはらって福を求める祈りとして、ジグザグの紋や亀甲紋、菱形紋などの文様が施されています。
こちらの文様は、綺麗にまとまっていました。
この辺りも紅葉が色づいています。
モミジ発見。
モミジ以外も、まっ赤。
黄色も赤もこの時期にしか見れないので、見入ってしまいます。
一番奥にある建物は集玉斎一体。光化門から遠目に見えていた北岳山が近くになっていました。
乾清宮
1873年、高宗皇帝とその妃の皇后が暮らした場所。他の古宮の建築様式ではなく両班の家屋のように造られ、中国式レンガ作り、西洋式の建物なども取り入れられていました。一時は撤去されましたが2007年に元の姿に復元。
最近建てなおされただけに、住めそうなくらい綺麗です。
韓国版、映画村みたいでした。黒っぽい煉瓦の壁が新鮮です。
奥には景福宮を囲う壁。やっと端まで辿りつきました。乾清宮は柱や扉も木調のまま、壁の色も他の王宮内の建物とは違うので、独特な空気が流れています。
香遠亭
王と臣下が親睦を深めるために集まった場所。
周囲の紅葉も綺麗です。
鳥も紅葉観賞中。眺めが良さそうです。
○ 食事
白参より有効成分が多いと言われている紅参で作った紅高麗人参鶏参湯をチョイス。お財布を気にせずに紅参を食せるのも、ソウルの醍醐味です。
猫舌の私にはドキドキドキのグツグツグツです^^;
グツグツが落ち着きはじめると、コラーゲンが濃厚そうなスープの中に鶏と紅参が出現。
次は、韓屋が残る「北村と三清洞の紅葉」です。
■ 旅の参考文献
壁の模様や建物内部の色使いが独特ですね。
by kuwachan (2010-12-11 01:10)
> kuwachanさま
模様は、ヨーロッパ方面では家紋や紋章を表すことが多いので、邪気を払って福を祈る意味合いがある文化は新鮮でした。
by pi (2010-12-12 23:58)