デロス島 (ギリシャ) [ギリシャ]
■ Delos
双子で太陽の神アポロンと月の女神アルテミスの生誕地で信仰を集めた、デロス島。
デロスとは、ギリシャ語で「明るい、輝く」という意味。島の名前は、これらの神の由来からきているのか、または国際貿易港として繁栄した意味からなるものか。
ここは、島全体がユネスコの世界遺産に登録されています。
ミコノス島から高速船で約40分。移動中の船上では、軽いクルーズ気分が味わえます。
ミコノス島の目の前に位置する小島。教会のみ建つ、少し気になる離島でした。
- デロス島の玄関口 -
- 港からキントス山方面を見上げる -
この島の始まりは、紀元前10世紀頃にイオニア人の入植からはじまったそうです。
島で一番古い遺跡は、当時、周辺海域で大きな力を持っていたナクソス島の人々がこの島を管轄し、アポロンの聖域としていろいろなものを奉納していたものだそうです。
本格的に栄え始めたのは、アポロン神殿が造られた紀元前5世紀以降。アテネがペルシャとの戦いに備えるため、そしてエーゲ海支配を強化する意図からデロス同盟を結成し、島はアテネの管轄に移りました。
遺跡巡りは、港前の紀元前2世紀頃の古代アゴラから開始。
ものすごい文字の羅列が刻み込まれていて、何と書かれているのか気になります・・・
この周りには商売の神、ヘルメスに謹呈された大理石仕立ての円形建物等が周辺に何気なく置かれています。
- ヘルメスに謹呈された建物の一部 - - 古代ベンチ!? -
- 聖なる道 - - フィリップ5世の柱廊 -
度々、雄牛を形どったものを見かけました。写真は、アンティゴノスの回廊の一部で、ドリス式の柱に装飾として付いてました。
ナクソスの柱廊エリアは、紀元前6世紀頃には32トンにもわたる大理石で造られた9メートルほどのアポロンの巨大像が建っていたそうです。これは古代ギリシャのクーロス像だったと言われていて、その特徴は、正面に向かって左足を前に出し、手には弓や矢を持った長髪の青年だったそうです。
- 壁の上部に。雨水の逃げ口!?- - 大理石に十字と鳥の模様 -
●アンティゴノスの柱廊 - Portico of Antigonos -
紀元前250年頃のもので、長さ120m:幅20mの柱廊。
- アンティゴノスの柱廊 - - Praetor Gaius Billienus -
●ミノアの噴水 - The Minoan Fountain -
紀元前6世紀頃にアンティゴノスの柱廊の外側にあった公共施設で、当初は南側を除く3面に壁があり、屋根も付いていたそうで、現在はそれを支えていた柱が囲むように残っています。
- ミノアの噴水 - - 所々にイオニア式の柱が -
紀元前の廃墟とはいえ、かなりの建物跡。
部屋と部屋の出入り口は、アーチ形や三角形。
玄関や窓は四角。
窓は、手を上に伸ばしたくらいの位置に小さくあります。照りつける太陽を遮るためか。。。
- 井戸 - - 下水路 -
☆これを拝みたいためにやってきましたデロス島まで!☆
●デロスのライオン像 - Terrace of Lions -
紀元前7世紀のナクソス人の奉納品で、ナクソス産の大理石で出来ています。当初は8~9頭だったと言われていますが、9~19頭とも。現在は5頭。
オリジナルは1999年にデロス博物館に移され、跡地にはレプリカが並んでいます。
●ポセイドンの柱廊 - Establishment of the Poseidoniasts -
ポセイドンの柱廊周辺は、多くの宝石が発掘されたそうです。
ゴージャスな装いだった事でしょう。細かい細工は、当時のファッションへのこだわりがうかがえます。
この島が最も輝いたのはヘレニズム期で、人口は3万人だったと言われています。
宗教の自由が認められていたため、イタリア・シリア・エジプトなど地中海全域から裕福な商人、船主、銀行家たちが移住し、商店や倉庫、豪華な住居などを次々に建設。租税や関税がなく国際商業都市としても栄えることに。前2世紀のアルテミスの神殿や屋上テラスのあるヘルメスの家は、繁栄の象徴です。
シリア人はシリアの神殿、エジプト人はセラピスやイシスなど自分達が信仰する神々の神殿をキントス山の近くに建て、サトモラケの神殿にはサトモラケの人達が古くから信仰していたカベイロイが祀られていたそうです。
縦5キロ、横1.3キロほどの小さい島は、聖域から国際色豊かな都市へと変わりました。
□イーシスの神殿周辺
□エジプト人の神殿周辺
□サモトラケの神殿周辺
●キントス山への登山
山を見上げていると登りたくなり、吸い込まれるように登り始めました。
修行の域に入ったと思わされるほど、予想外の勾配の険しい凸凹坂道。
頂上からは島全体が一望でき、見晴らしは爽快でした。
島を埋め尽くすほどの遺跡の数々。
●仮面の家
役者のための宿だったという説が。
多くのモザイクが、修復によりよみがえっています。
- パンサーに乗った演劇の神、ディオニソスのモザイク -
●ドルフィンハウス - House with the Dolphines -
- 可愛いモザイク - - ドルフィンハウス周辺 -
●古代劇場跡 - Theatre -
紀元前3世紀頃の建造で、5,000人を収容したそう。
劇場下にある紀元前3世紀に造られた貯水槽
古代劇場から流れ落ちる雨水が貯まるようになっています。
●クレオパトラの家
ローマ期の大富豪の邸。
クレオパトラの家にある二つの像は、女主人クレオパトラとその夫だそう。
2000年以上の時を経ても、仲良くキントス山に向かって立ち続けています。
これを設置した当初、数千年後も守り続けられている事を考えていたでしょうか。。。
ヘレニズム時代の家屋が建ち並ぶエリア。
通りに足を踏み入れると、当時のざわめきが聞こえてきそうな気さえします。
柱にライオンの像の装飾があり、広い中庭がある大きな家。ライオンはシリアの神のシンボルであることから、シリア商人の家だったと仮定されています。
- まだまだ修復中 - - 中庭 -
- 家の床下の排水設備 - - 玄関より港方面 -
- 一般的な家屋の中 - - 壁に埋め込まれている大理石の椅子 -
一部屋一部屋は狭く、ワンルームほどの広さです。
通りを下った先には海があり、のどかな感じです。どの道幅も狭く、二人並ぶとふさがります。
ここではよく見かける、波柄に縁取られたモザイク。お気に入りです♪
港前には、商店が建ち並んでいた跡があります。奴隷売買も栄えていたという事なので、奴隷が窓もないこれらの部屋に閉じ込められていたのでしょうか・・・
多い時には、一日に一万人もの取り引きがあったそうです。。。
度重なる略奪と海賊の襲撃を受け幕を閉じる事となったのは紀元前88年。小アジアのポントス王ミトリダテスによる略奪に遭い一夜にして死の街と化してしまった島民の大量虐殺があって以降、1873年にフランス人調査団に発掘されるまでは廃墟と化し、発掘は現在も続いています。
心残りながらも、かなりの疲労を隠せずミコノス島へ戻りました。。。
白い家々が目に入った瞬間、タイムスリップから戻った気分に。
ミコノス島のオールドポートに帰港
デロス島は、遺跡好きには楽しめる島。どこへ向かって歩いても、何かの遺跡にたどりつきます。
ですが、博物館以外は日陰が無いに等しく、遺跡に没頭し過ぎ休憩を怠ると、照りつける太陽にグッーーータリです。
2000年以上前のものばかりなので草の茂りも多く、少し脇道を進もうとすると、雑草を掻き分けて歩くことも。個人的には充分楽しめた世界遺産でした。
コメント 0