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ポンペイ (カンパニア州) [南イタリア]

Napoli
バスでナポリ観光の定番である、
ヌオーヴォ城 → ウンベルト1世ガッレリア広場 → 卵城を通り、ポンペイへ。
  
     - 海に浮かぶカプリ島 -       - ヌオーヴォ城(Castel Nuovo) -

  
   - 卵城(Castel dell' Ovo) -      -サンタ・ルチア港(Santa Lucia) -

Pompei
ポンペイ遺跡 - Pompei Scavi
火山の噴火により、封印された2000年以上も前に栄えた古代都市、ポンペイ。
紀元79年のヴェスビオ山の噴火以来、高さ6メートル以上の火山灰層によって埋もれていたとは言え、ポンペイの歴史は深い。
1763年にスペイン国王(元ナポリ国王)カルロス3世が、近隣にあるエルコラーノで大理石柱の一部が出土したのを機に、”宝探し”の発掘を始めたことにより、悲劇の瞬間で止まっていた町ポンペイが発見され、当時が繁栄していたことを窺い知ることになりました。
始まりは、紀元前7世紀頃カンパーニャ地方で勢力を拡げていたエトルリア人か、紀元前8世紀に原住民であったオスク人が築いた説が有力だと言われています。また、サムニテス戦争でローマが勝利して以来、ローマ帝国の支配を受けていた跡があらゆる場面に残っていて、歴史の変化が見れる面白い場所です。噴火当時のポンペイの人口は、約1万2000人と推定され、規模の大きさがうかがえます。

マリーナ門(Porta Marina)
ヴェスビオ周遊鉄道側の入り口からマリーナ門を通り、フォロへ向かいました。マリーナ門の由来は、その名のとおり海に向かっていたからだそうです。門は2つに分かれており、一つは荷馬車専用、もう一つは歩行者専用だったそうです。
  
     - マリーナ門 -           - ポンペイの町並み -
 
フォロ(Foro)
アポロ神殿→バシリカを抜けて、フォロ(公共広場)へ
 
このアングルは、よくガイドブックで見かける位置です。6本の柱が残るジュピター神殿の背後にヴェスビオ山が。噴火したときは恐ろしく赤黒かったことでしょう・・・
  
フォロからアッボンダンツァ通りをぶらりと散策しました。
  
    - 古代の横断歩道 -           - 轍の跡が残る道路 -

タイムスリップした気になれる程、しっかり残っている場所も。
  

道の途中には、何件(200件はあったと言われています)も居酒屋(現在のバールのようなもの)がありました。 
 
      - とある居酒屋(当時、壁には絵が描かれていたそうです) -

モデストのパン屋
ここは当時使われていた設備が、分厚い火山灰層に何世紀も守られ、ポンペイで最もすばらしい状態で保存されていたそうです。2つの溶岩で出来た挽き臼・パンをこねる台・焼き釜戸があります。すべてが機能的に出来ていて、各分担作業所が秩序だてて配置されています。当時、挽き臼は奴隷かロバで回していたそうですが、ロバを使う事が多かったそうです。それを物語るかのように、挽き臼の裏手にロバの寝床であっただろう場所があり、そこに白骨化したロバが多く見つかっています。発掘時、釜戸の中からは81個の炭化したパンが発見されたそうです。そのパンは、フレスコ画に見られる丸い形をして切れ目ごとにもりあがったものだそうです。
  
        - 挽き臼               - 焼き釜戸 -
 
食品取り引きの場であった屋内市場”マケルム”。無数の魚の小骨が見つかっており、この場所は魚の販売に利用されていたと推測。
 
        - 12本の柱で支えられたクーポラがあった建物跡 -

フォロの浴場(Terme del Foro)
ローマ時代初期にスタビアーネ浴場を真似て建設されたと言われています。脱衣所は男女に分かれていて、冷浴室・温浴室・熱浴室が設置されおり、中庭にはプールもあったそうです。スパ道具を持参して当時へ行ってみたい・・・
  
     - 浴室内 -           - 温浴室にある大理石の水盤 -
                    ↑中央から出てくるお湯で、顔や体を洗ったそう。

牧神の家(Casa del Fauno)
ポンペイ最大の貴族の豪邸で、首都ローマの独裁官であったスッラの甥プブリウスの居住宅といわれています。ポンペイの住宅は、都市化が進むにつれ建設用地が狭くなり、土地代も上がってきたため、ゆったりとした構造を次第に失っていったそうですが、その変わりに邸宅内の装飾が豊かさを増したという特徴があります。
 
      - ファウヌス(牧羊神)のブロンズ像(レプリカ) -
この家のオリジナルのブロンズ像や、古代で最も重要な「アレクサンドロス大王トダリウスの戦い」のモザイクは、”ナポリ国立考古学博物館”に所蔵されています。

ポンペイには、多くのフレスコ画やモザイク装飾があり、それが見学する目的の一つだったりもします。ポンペイ絵画様式は4つにわかれていると言われていて、その違いを見分けながら散策するのも楽しいでしょう。
 

ヴェッティの家(Casa dei Vetti)
開放奴隷出身で巨大な富を手にした商人の豪邸で、どこよりも当時に近い壮麗な姿で修復再現されています。ここには、”ポンペイの赤”と呼ばれている神話などをテーマにしたフレスコ画が多くあります。
  

ポンペイは思ったより広くて、見るところも多く、時間に余裕を持って観光に訪れた方が、じっくり楽しめそうです。出入り口には南イタリア名物のフレッシュオレンジジュースとレモンジュースの売店があって、疲れた体を癒してくれました。次は、当時の服装を纏って歩いてみたいな。。。

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渋谷文化村サ・ミュージアムで、「ポンペイの輝き」展を観てきました。
(2006年いっぱい国内4箇所巡回展のようで、東京は2006/6/25まで)

 会場は、エルコラーノから始まり、テルツィーニョ→ポンペイと進みました。
当時の裕福層が付けていた宝飾類や生活道具が多く展示されていました。
多くは金とエメラルド。何千年前もの宝石が、今なお、まばゆいくらいの輝きを続けていました。
また、”ポンペイの赤”と言われているフレスコ画(ネロ皇帝時代に描かれたもので、少し不気味に感じた絵)もあり、まずまず楽しめました。特に宝飾類は今着けても違和感のないデザインで、欲しくなりました^^;
 一番のお気に入りは、居酒屋の壁に描かれていた3人の人間模様を表した絵です。
確か二人の男が、「これはオレの酒だ!」「いやオレのだ!!」と言い合っている絵の横に、女亭主の絵で「好きな方が飲みなさい!」というような内容が古代語で書かれていて、なんだか古代人が身近に感じてしまいました。建物や生活環境は変わっても、人の心は今も昔も変わりませんね。

また最終地点にある展覧会グッズが、現地より豊富でした。
古代パンや、大好きなリモンチェッロ等、いろいろ販売されていました。

旅の参考文献
   
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コメント 5

nack

コメントありがとうございます!!
オブジェの名前知りませんでしたぁ~。それと電流が流れるのも…。
それを知ってたら、ちょっと触ってみたかった。。。
雪のミラノは靴は最悪でしたよ^^常にびちょ×2.でも、ある意味珍しくて今思えば雪のミラノ良かったかもしれません♪
by nack (2006-06-02 20:03) 

kenta-ok

http://blog.so-net.ne.jp/kenta-ok/2005-11-06-1 ポンペイ遺跡にいつかは行かなくてはと思っています。
by kenta-ok (2006-06-26 01:38) 

pi

ポンペイは、古代遺跡好きとしては楽しかったですよ!2000年近く前の異国の地なのに、なぜか親近感の湧く町でした。
by pi (2006-06-26 02:08) 

初心者の投資

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
by 初心者の投資 (2012-11-12 06:18) 

pi

> 初心者の投資サマ
コメント、ありがとうございました。
by pi (2012-11-12 22:20) 

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